1995年からFreeBSDを使い始め、1998年頃にFreeBSDからNetBSDに以降して使い始めた。FreeBSDの日本語のML・NetNews・IRCなど、コミュニティーに参加していたが、人が多すぎたこと、コミュニティーの雰囲気が殺伐としていたことが気になっていた。NetBSDのコミュニティーはこじんまりとしていて、ユーザと開発者の距離が近く感じられた。また、NetBSDには、日本人によって開発されたCitrusという国際化対応のプロジェクトが取り込まれたところで、それも魅力的に感じられた。
NetBSDでは、コミュニティーに積極的に参加し、とくに英語のコミュニケーションを心がけた。NetBSDにはpkgsrcという独自のパッケージ管理システムがあり、makeファイルのスクリプトで書かれていた。これの開発はOS本体の開発よりずっと難易度が低く、これの開発者としてNetBSDプロジェクトの一員になりたいと考えはじめ、貢献するようになった。結果、2003頃pkgsrc開発者としてチームに参加することができた。
NetBSDは、他のBSDプロジェクトと同じく、カーネルとユーザーランドを全て含めて開発してリリースする。Linuxのようにカーネル、libc、ディストリビューションというように分かれていない。2020年代の現在でもCVSという前時代的なバージョン管理ツールを使い、テキストベースのIRC (ICB) チャットとメールでコミュニケーションしている、古臭いプロジェクトである。20年前は、現在と違って開発も活発で、多くを学ぶことができた。
海外のBSD Conferenceという国際会議にも、何度か参加し、日本国内でも何度も開催されたAsiaBSDConにも、毎年のように参加した。NetBSDの開発者とは、何度も会って、一緒に旅行したり、開発以外の思い出も多くできた。
pkgsrc以外の貢献は多くはないが、以下のような開発作業をした。
- config(1) refactoring
- reproducible build
- execve refactoring
- uvm(9) refactoring
- experimental XIP support